1999年の旅で はまった
- 卒業旅行(1992)では全く心の琴線に触れなかったのに
- 1999年の一人旅(計3か月)でイタリアに1ヶ月滞在
- イタリアに住んでいる日本人を紹介してもらい、訪ねてあるいた
- あわよくば仕事のお手伝いができるかも
- そのためにイタリア語を付け刃で習う
- そして、忘れてはいけないあのジョカトーレ
1999年の旅とは
会社員時代にも年に一度は海外旅行をしていたが、退職を機にあこがれていた長期旅行を実行。
- デンマーク
- オランダ
- ドイツ
- イタリア
- タイ
デンマーク
- 北欧デザイン押しの友人の影響
- すべてがかっこいい
オランダ
- 知人と会って、緊張の糸が少し緩む
- オランダの建築、おもしろい(MVRDV、コールハースOMA、Mecanooだけではなく)
- 身体は大きいのに、家が超ヒューマンスケール
- 外国人に対して壁がない→居心地が良い
- コーヒーショップと飾り窓地区 やばい
- 運河の街、アムステルダム
- 圧巻の風車群 キンデルダイク
ドイツ
- 日本人がいっぱい、デュッセルドルフ
- ベルリン、という元東側の国に来たことに興奮
イタリア
- 知人の知人を訪ね歩く
- ユースで知り合った日本人たち(何度も出会う、お父さん知ってる、等)
- カルチョに はまる
- ローマの超ド真ん中で一人きりのクリスマス♪
- 旅女 全部盗られる
タイ
- バンコクの三越で待ち合わせ
- 優雅に★★★ホテルに滞在
- トムヤンクンに はまる
- 旅女 最大のピンチ
帰国後、渡伊までの3年間
- イタリアでは英語を話す人々が当時多くなく、付け刃のカタコトのイタリア語でも、話せると本当に楽しかったので、もっとイタリア語を勉強しようと誓う
- イタリアでお世話になった日本人建築家のコンペを手伝い、イタリアで働いている人の雰囲気を味わい、自分もイタリアで陽気に働きたい、という思いが募る
- セリエA情報を追いかける。Jリーグも見に行く。
渡伊へのきっかけ
- 独学でイタリア語を学ぶうちに、伊語に対する目標を見失う。
- 仕事に不満はなかったが、海外に行くなら「今」しかない。(当時32歳)
イタリアへ
- イタリア政府奨学金に応募するも不合格
- 語学留学よりも、つぶしの効く大学入学を選択
- カルロ・スカルパと縁の深いヴェネツィア建築大学を希望
- 4~6月にイタリア文化会館に出願申請(イタリア生活を暗示させる序章だった)
- 9月に入学試験