小さな村の物語:第253回 ウンブリアティコ / カラブリア州

イタリアの南、深い緑に覆われた辺境の村。
村外れの畑でワイン用の葡萄を育てている男は、父親から受け継いだ葡萄畑を30年間、ずっと大切に守ってきた。
一方、子供の頃から父や兄弟の食事や身の回りの世話をしてきて、結婚後も愛する家族のために、毎日家事に精を出す主婦。
夫は16歳年上の“年の差婚”。彼女の結婚観とは…?
日々の暮らしの中に、喜びを感じながら生きている村人たちの物語。

村外れの畑でワイン用の葡萄を育てている男性は、父親から葡萄畑を受け継いで30年、ずっと大切に守ってきた。24年前、大規模な洪水が起き、ほぼすべての葡萄の木が流されたことがあった。彼は、村を離れることも考えたが、妻にも後押しされ、4年かけて畑を復旧させた。もう一人の主人公は、3人の子供を持つ母親。愛する家族のために、家事に精を出す毎日だ。両親の言いつけでずっと家事を続けてきた人生だったが、そのことに後悔はしていない。自分の家族もでき、愛する夫や子供たちのために家を守ることできる、それが彼女の生きがいだ。

2017年06月10日 初回放送

Wiki によると、この街の特徴は断崖絶壁。
この地形のお陰で、頑丈な城・城壁をもたずに済んだ、カラブリア州でも数少ない街の1つ、とのこと。

GoogleMapsの3Dで見るとそのことがよくわかります。

街の歴史は古く、紀元前7世紀には人々が住み始め、第二次ポエニ戦争時にはハンニバルが城壁を築いたが、ローマ人によって壊される。しかしその遺構が残っている。

今日の主人公は、
ぶどう栽培農家のドメニコと主婦のカルメラ。

別々の家庭の物語です。

ドメニコは20年ほど前に先妻を病気でなくす。
後妻のフランチェスキーナは、先妻ローザ、ドメニコのローザへの思いをリスペクトし、思い出のバラの花(ローザ)の世話もする、寡黙そうで献身的な人。


近年ワインを製造するようにんり、昨年は1万本を出荷。これはすごい。
IGT(Indicazione Geografica Tipica)も取ってます。

息子フランチェスコは、今は保険業をしているけれども、農業を継ぐそうです。
「手が汚くても、悪いことをして汚いわけではないのだから、恥ずかしくはない。子どもたちにも、父親の職業を誇りを持ってもらえると思う。」


カルメラは、4人の兄をもつ末っ子。
だけど、父親と共に住み、16歳離れた夫とともに3人の子供を育てた。
家事はこなすが、せわしなく大雑把、というナレーションに微笑む。
パン作りを2週間に1度、娘の彼氏の母親と共同作業している。

今日のCanzone: Bene per sempre / Michele Bravi

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小さな村の物語:252回 ドソレード(ヴェネト州)

オーストリアの国境近く、
ドロミテアルプスの険しい山の中に小さな村がある。
ドソレードだ。深い森に囲まれたこの村の人達は、
ずっと林業や牧畜で暮らしをたててきた。
昔ながらの仕事は減ったけど、
人々の心は今も森にある。

2017年06月03日 初回放送

ここの街の名物は何と言っても、丘陵地に並ぶ昔ながらの倉庫群。

この地方独特の建築物はTabiàといい、わらを乾燥させ保存しておく倉庫のこと。この倉庫群を見たくて、別のミッション※を名目にこのドソレードを訪ねた事がある。
Tabiàを見るために、この写真に写る草原に入り込んでしまい道路になかなか出れず、なんとか私有地のようなところを通ってはい出たところで出会ったのが、今回登場の兄のフランコ。
これらの建物群の用途を知ってる?と話しかけると、自分もここに倉庫を持ってるよ!アンティーク商をしてるんだ!ってことで見せてもらうことに。
番組にも出てきたこの倉庫には、所狭しとアンティークものが並んでいた。紹介されていた仕掛けのあるチェストも見せてもらい「お~!」と感動した覚えがある。

さて今日の物語は、
そのアンティーク商の兄フランコと万屋をする弟ステーファノ。
番組では「万屋:なんでも屋」といっていたけど、このような店構えはイタリアの田舎にはよくある。
新聞雑誌売店Edicolaとタバコ屋さんTabaccheriaが一緒になって、そこに街の名産・名物や、街にスーパーがなければ、生鮮食品・雑貨などを扱う、など、まさになんでもあり。
ここにでてきた、イタリア各地の上等ワインが揃ってたりする店は少ないかも。その上、アンティーク家具まで置いてあるところは絶対ない、な。

彼らの父親ルチアーノは儲かると思えば鼻を効かせて方向転換が出来た人、だと。
それでアンティーク商に転換したというが、その時代、どんなキッカケがあったのか?
GoogleMapsを見るとこの地域にはなぜかアンティーク商が多いので、それを不思議に思っていて、Tabiàフリーク?の元同僚にも聞いたことがある。
理由はまだ謎のまま。

父の職業を引き継いだ兄フランコ。
若いときに大病をし、命が助かった代償に片目の視力を失う。
その分、アンティークの補修をするときには感性が鋭くなったと。

弟ステーファノの趣味は、木彫りとペットの牛。
木彫りは素人だというが、昔の村人たちがモデルというお面は、デフォルメな表情が妖精っぽくとてもすばらしい。
ペットの牛の毛並みがカーリーで、キュート。
確かオランダ産だったか。
赤毛はオランダ産が多い。

彼らの夕食には、ヴェネトの定番ポレンタとチロルの定番カネーデルリが登場。
山の街にテッパンなピアット☆

今日のCanzone: Generale / Francesco De Gregori

Wiki~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ヴェネト州ベッルーノ県コメーリコ・スーペリオ-レ市ドソレード

周辺地域同様、この村にも地主制(Regola)が残っていた。

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小さな村の物語:250回 セウーロ(サルデーニャ州)

地中海に浮かぶサルデーニャ島。人々が住み始めたのは約4000年前といわれる。セウーロは州都カリアリから北へ約93kmの山岳地帯に位置している。村の経済を支えているのは農業で、穀物、小麦、野菜、ブドウ、オリーブなどが植えられている。その他、山羊、羊、馬の飼育などが行われている。長寿割合が最も高い村のひとつとしても知られ、村では100歳を超えると記念として通りに写真が飾られる。(BS日テレHPより)

www.bs4.jp/italy/onair/250.html” target=”_blank”>2017年05月06日 初回放送

酪農と農業

お年寄りを大切にする慣習

パン職人ステーファノ(助手のトンマーゾ)
お菓子職人のパートナー、10歳年下の幼馴染エリーザ、かわいいx~

食卓にパンは欠かせない
工房(ラボラトーリオ)に買いに来る、おいていく1ユーロ(120円)

Ciao Patatine!!
Ciao Streghe!!
ピッキリートゥス

1週間分の洗濯物を母親のところに!世話を焼かせることも母親孝行。
生ハムが家に吊られてる。
毎日母親とランチ。
アーティチョークとセロリのサラダ。
母親の近くにいたかったから。
話さない。
仕事の次は、家族を作ることが夢。(結婚すること、ではない)

ランチ会。Pranzone?
狩りで鹿。

Wiki~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
セウーロ(ウにアッチェント)
コムーネ di サルデーニャ州南サルデーニャ県
人口848人
海抜1053m
この村の特徴は長寿の村。
ゾーナ・ブルーに2016年3月指定される。
「800人足らずの村人の20人が100歳超え」http://www.cagliaripad.it/news.php?page_id=27964

中部サルデーニャの他の街と同様、昔ながらのレシピが残る。
村独特の料理が長生きに関わっているのではないかと学者たちに言われている。
porceddu:豚のロースト
picchirittus:エリーザもつくっていたお菓子
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~Wiki

サルデーニャで豚、といえば、私にとっては映画「羊たちの沈黙」の影響が強く、失礼ながら、野蛮で未開な人々、そして豚を多く食べる、という印象。
沖縄のように、豚を食べると長生きするのかな。
それと、神戸で習っていたイタリア語の先生がサルデーニャ出身(サルド、女性はサルダという)でだったのだけど、彼の影響か、堅い偏屈そうなイメージ。(ごめんなさい、先生)
イタリアに行って知ったのは、VIPが夏にバカンスを楽しむ所、ということ。
ゴシップ雑誌には、主にサッカー選手がシーズン終了後に、サルデーニャでヴァカンツァ、という記事が6月くらいから書かれてるのを見て、いいなぁもう夏休みなんだ~!と思ってた。
あと、名字に、…dduとか…ssuとか、多いのですぐわかる!

パッラーディオの肖像画はホンモノではない!?

元ネタ:http://www.elledecor.it/architettura/andrea-palladio-volto-mostra-palladio-museum-scandurra

後期ルネッサンスの建築家アンドレア・パッラーディオ(1508~1580)。
その業績は、有名なラ・ロトンダテアトロ・オリンピコにとどまらず、著書「建築四書」にて古典建築規範を研究・解釈し建築様式を定義し、後にイギリスや北米などでパッラーディオ建築(Architettura Palladiana)として広まります。

彼の活躍したヴィチェンツァの街は、「パッラーディオの街」としてユネスコの世界遺産にも登録され、シニョーリ広場の彼の代表作の1つバジリカ横には彼の像が立っています。

またパッラーディオ=下の人物像であることは、私達の常識といっても過言ではありません。

しかし、この500年もの間、世界中の人々が信じてきた彼の肖像画が、実はホンモノではない、ということがこのニュースにかかれています。

・・・パッラーディオの生存していた16世紀に描かれた肖像画は存在していません。
18世紀(1715~1720年)にイギリスにて、ロンドン在住だったイタリア人建築家ジャーコモ・レオーニ著「パッラーディオの建築四書」英語版出版の際、関係者によってパッラーディオの顔(Volto)が作り上げられました。またその数年後、1733年に次はイタリアにてテアトロ・オリンピコのガイド書が出版時に、また別の肖像画が使用されました・・・

・・・2017年4月、この未解決事件がホンモノと言われる2つの肖像画によって解決するに至りました。1つは、20世紀初頭にラ・ロトンダを買い取ったロシア人がそのロトンダで見つけたもの、もう1つは、アメリカの骨董市で売られていた画家ベルナルディーノ・インディアによるもの・・・

とはありますが、この記事は、現在ヴィチェンツァのパッラーディオ博物館で開かれている「アンドレア・パッラーディオ:顔のミステリー」展のプロバガンダで、このモストラには12のそれらしき肖像画が展示されており、あなたはどれがホンモノだと思いますか?というもの。

最後に展示会責任者が「何故パッラーディオは肖像画を残さなかったのか?」という疑問に対し、こう答えています。
・・・恐らく彼は典型的なヴェネト気質、引っ込み思案、だったのではないのかな。もしくは別の意図があったのではないだろうか。彼の本は、世界を変えるようなマニュアル本であり、実用的で美しいくそしてコストの掛からない建築としての解説本です。もしそこに彼の肖像画を入れてしまったら、「彼の本」になってしまう。入っていないからこそ、我々みんなに等しく実用的な本、となっているのではないでしょうか・・・

展示会「顔のミステリー」は2017/6/27まで